<大学正門前脇の立て看板>
<構内で咲き誇って春を告げていた花>
以前にも書いた通り、
立教ハンドベルはプロアルテのメンバーたちの出身団体の一つという関係にあります。
今回私は、OBとして演奏に参加させていただくことになり、約1ヶ月間、主に週末の練習に参加してきました。
そしてこの日がそのコンサート当日。
12:30に集合。
セッティングの後、OBOGを交えたハンドベルのみによる通し練習を行いました。
曲開始時のベルの持ち上げ等の合わせ、合間の移動やアナウンス、お辞儀を含めた本番相当のリハーサルです。
その後今回の卒業コンサートは、チャペル音楽団体のジョイント開催ということで、その調整のために現役生たちが合同練習を行い、
それから最後にもう一度、ハンドベルのみ確認の通し練習を行いました。
そうしている内に時間は過ぎ、
やがて、あれよあれよという間に、17:00の開場、17:30の開演時間を迎えました。
<卒業コンサート前のチャペルの様子>
今回は自分自身が演奏者として参加したこともあり、実際中に入って見た個人的な感想を織り交えながら、印象に残った部分について、書いていきたいと思います。
私自身は、「Joyous Ring」にてローベラーとして、また「春よ、来い」にてハンドチャイム演奏者として2曲に参加しました。
Joyous Ring
とても華やかで軽快、ベル譜のため各パートが満遍なく途切れなく登場するハンドベル・オリジナル曲です。
私自身は、ローベラーとして参加しました。
この曲では、殆どが女性メンバーな中で、私は数少ない男手というアサイメント構成でした。
ちょっと広めの会議スペースといった感じの練習場所では、自分の音が飛び立て大きくなりすぎないよう、ある程度注意を払って音量をセーブ気味に制御していました。
けれどもこの曲のリハーサルにて、久しぶりに立教のチャペルで音を出してみた時に、広いスペースを備えたチャペルでは、そうした制御を解き放って存分に気持ちよく演奏することができたように思います。
その感じ、チャペルで演奏する時のその解き放たれる感覚は、自分が学生の時も、そういえばそうでした。
またローベルでは特に、これまでも過去に何回も立教ベルの様々な先輩や後輩の方々と演奏したことのある馴染みある曲であり、そうした曲を、こんな年になっても、再びまたこのチャペルで演奏できたことが、有難く、懐かしく、またちょっぴり誇らしく感じました。
本番での演奏全体としても、この曲で顕著に現れる、皆で一緒に盛り上がる箇所は盛り上がり、静かなところは協調して音量を落とす、といった
「ハンドベルならではの音を合わせる楽しみ」を、現役生たちと共有できてとても楽しい演奏経験となりました。
My Heart Will Go On
映画「タイタニック」のテーマとしてセリーヌ・ディオンが歌ったことで有名なナンバーです。
何回も覆い被さるように徐々に壮大になっていく曲調の中で、メロディーがその波に乗りながら、繰り返しテーマを歌い上げていきます。
以前に書いたメロディー同士の「横への意識」が必要とされ、練習でも一つのポイントとしてそのことが意識されていたのを感じました。
本番で目を閉じてメロディーを聴いていて、うっとりしました。
「合わせる」ために、打点だけではなく動作や準備を揃えるといった、きっともっとよくできる部分もまだ若干残ってはいるかもしれませんが、限られた時間の中で、とても完成された仕上がりであったと思います。
Waltzing Matilda
練習の時から目を引いていたのは、この曲における
ローベラーたちの頑張りでした。
この曲、オージーな(たぶん)マチルダさんが踊るワルツでは、意外としっかりとしたベース音が要求されます。
結構なアップテンポな中で、男性2名(OB:1名を含む)・女性2名のローベル布陣で、音量・音の粒の揃い・タイミングなど、凄くしっかりとしたベースを響かせていて、「素敵」というよりは、むしろ「格好良かった」です。
(ローベラーとして私的には言われて嬉しい最大限の褒め言葉の一つを捧げちゃいます。
)
また曲の途中で、それまでのゆったりとした流れから、活発で速めのテンポに切り替わります。
そこでは、ハイベルがメロディーを演奏しながら、またメロディーと合わせて裏拍の伴奏を器用に細かく入れることが求められます。アップテンポの中で、そこでのタイミングのとり方が難しく、うまくできないと「ムキー
」となってしまいやすい箇所だと思うのですが、
ハイベラーたちが、ノリノリな感じで、その部分をむしろとても楽し気に演奏していたのが印象的でした。
Arabesuque
強弱やテンポを始め、全体としてとても「揺れ動く」曲調を伴い、複数人で演奏を形作るハンドベルにとっては、とても難易度の高い曲だと思います。
(元々ピアノ演奏曲として、一人の奏者が思うがままに自由自在に、音の強弱や旋律を揺さぶり・溜めを作ることで、情感を込めやすい曲というイメージが私にはあります)
プロアルテでも何年か前のクリスマスコンサートで演奏したことがあり、どうメロディーを揺り動かすか、どう溜めるか、そしてそうしたメロディーにどう伴奏が追随していくか、とても苦労したことを覚えています。
ハンドベルでは、指揮者を立てて、そういった強弱にテンポに揺れ動く部分を指揮によってハンドリングする方がより演奏しやすい曲、と言えるかもしれません。
それは同時に、指揮者の付ける曲想のカラーが、この曲の良し悪しを大きく左右することを意味します。
そんな難易度の高いこの曲が選曲されたことに、このコンサートにかける卒業生たちの意気込みをヒシヒシと感じました。
(しかも児玉先生の編曲
)
ある程度お互いの音楽性について分かり合った人たちで構成される社会人団体とは異なり、「基本、やりたい人Welcome!」方針な大学のハンドベルでは、演奏者の音楽への馴染み具合に違いが生まれやすい傾向があるように思います。
それは、具体的には、譜読みの速さ・細かい音入れのタイミング・他人の音を聴き合わせることなどの違いとして現れ、結果として「粒の揃った音」を出すために、社会人団体よりもより多くの練習を重ねる必要が出てくる、と言えるかもしれません。
リハーサルでは、技術的・具体的な原因として細かく現れてくるものの、恐らくは根本的には上述のような「演奏者間の音楽への馴染み具合の違い」を原因として、ハイベルとローベルが上手く噛み合わず、途中で消え掛かり場面があり、実は少しハラハラしていました。
そして本番。
私は演奏者の後ろにある、客席からは見えない待機者用の席に座っていて、その箇所が来ると、目を向けて見守らずにはいらませんでした。
現役生たち、とてもうまくやりました。するっとその箇所を乗り越えていました。その瞬間、私はその待機席で思わず、見えないように小さく拍手をしてしまっていました。
コンサート後に他のOBと、この曲について話していて
「今までの練習を通じて、一番良い出来だった」という結論で一致しました。
練習は報われるもの、と思いました。
本当に、演奏者も指揮者も、そういう演奏者個々の違いを乗り越えて、よく頑張った、と思います。
色々な思いの込もった本当に素敵なアラベスクでした。
春よ、来い
松任谷由美さんの有名な曲です。
ハンドチャイムの演奏者として参加しました。
その扱いには余り慣れていなかったため、練習を通じて、チャイム演奏に関していくつか学びました。
・音を鳴らす際に、力を入れすぎずにベルを適度に傾けて打たないと、ダブルクリックして意図しない二度打ちになってしまいやすいこと。
・音を止める際には、横向きに(割れている面を胸に当てて)音を止めること。
・チャイムを下に置く時には、横向きに置くか、クラッパーを指で押さえながら置かないと、やはり意図しない音を鳴らしてしまうこと
アルペジオな伴奏が流れるようでとても美しく、また旋律が凛としていて、それでいて穏やかで、その心の込もった調和がとても印象的でした。
なんというか、演奏していて、優しい気持ちになることができたように思います。
きっとこの曲が、現役生と卒業生が共にコンサートで演奏する最後の曲になるという思いが込っていたからではないか、と思います。
In The Garden
以上5曲の演奏を終えた後、軽いサプライズな感じで、4年生9名によって、「立教ハンドベルに入って初めてやった曲」として、演奏されました。
客席最前列から見ていて、曲調や演奏内容よりも、演奏する4年生たちの穏やかで、何かを成し遂げた感に溢れた表情、そしてそれを見守る現役生たちの「これが同じ現役として演奏する卒業生を見る最後になる」と実感している雰囲気に、私自身ぐっと来るものがありました。
いや、現役生に混じって一緒にベルを打たせてもらったこと自体よりも、短い時間だったとは言え練習する時間を共にすることで、
4年生たちの存在が現役の中でとても大きなものであったと少しでも理解できたこと、
この曲が演奏されている間に彼らが感じ、交し合っている想いを、少しでも理解できたことが、私自身が今回このコンサート演奏に加えていただいたことで得た
最大の収穫だったと言えるのかもしれません。
最後に
ずいぶんと長い文章になってしまいましたが、もう少しだけ、つらつらと書き連ねさせて下さい。
今でも立教のチャペルに来ると、とても懐かしく感じます。
色々なものが変わらずにあり、まるで自分が学生に戻り、昨日もここでコンサートをしていたかのように。
それはたぶん、ここでは何かの存在を感じるからなのだろうと思います。
それは「神様」なのかもしれませんし、あるいはもっとより宗教色を外した別の言葉で言い換えれば、
「伝統」のようなものと言えるのかもしれません。
自分自身を含め、多くの先輩・後輩・チャプレン・OBOGたちがそれに対して忠実であり、それ自体を構成してきました。
人の身体の代謝と同じように、このチャペルの伝統を受け継ぐ世代は移り変わり、その代に応じて色々と独自性を以ってやり方を変える部分はあるものの、その忠実である対象は一貫して揺れ動きません。
卒業するということは、これまで馴染み、支え合い、喜びや悲しみを共にし合い、尽くし、自分自身をその一部であると自覚していた環境から離れて、新しい環境へ飛び込むことです。
それは別れを伴い、辛く寂しい一面もあります。でも「伝統」が生き続けるのに伴う代謝として捉えた時、変わらないけれども少しずつ変わって行くために、必要なことなのかもしれません。
今ではもう本当に時々になってしまいましたが、私自身ここに戻り、その「伝統」が生き続けているのを感じる時に、自分の学生時代がとてもかけがえない宝物であったと改めて気づきます。はたして他にどのようなそれがありえたのだろうか?と。
そしてそう気づかされること、その機会が与えられたことに、感謝を覚えます。
ハンドベルが、またチャペルが、チャペル団体が、私のような思いを持って振り返ることのできるOBOGを、これからもたくさん生み出し続けてくれることを願ってやみません。i hope all hearts of them will go on !
なんだか、すいぶん感傷的な文章になってしまいましたね。
末尾になりましたがが、
4年生のみなさん、卒業おめでとうございました。そして本当に、素敵なコンサートに参加させていただき、ありがとうございました。