ハンドベルの歴史
鐘・ベルの役割
日本における「鐘」は、古くは弥生時代の銅鐸に遡り、その後の仏教の広まりによって建立された仏閣における寺鐘、そしてそれらによる、時を告げる役割としての鐘(例:「暮れ六つの鐘」など)、年の瀬を告げる「除夜の鐘」、また火事を報せる「半鐘」、また神道における「魔除けのための鈴」などとして、古くから人々の生活に深く根付いてきました。
歴史においては、例えば、徳川家康が豊臣家を滅ぼす口実とした、「国家安康 君臣豊楽」銘文は方広寺の鐘に刻まれたもの*1であり、また落語でも、例えば古典噺の「蝦蟇の油」にて油売りの前口上の中に登場*2したりなど、その関わりは枚挙に暇がありません。
画像*3は、東京の金龍山 浅草寺の梵鐘。
ヨーロッパでも同様に、ベルは時報や冠婚葬祭などの儀式のため、また時には火事や嵐、戦争における召集や敵の襲来を報せる警鐘など、非常時を告げる目的で鳴らされました。
そして多くの楽器が、宗教と密接な関わりを持ちながら進化してきたように、ハンドベルの起源となったベルとキリスト教とは、とても深い関わりを持っています。
死者のためのベル(Dead Bell)
超自然的な存在や迷信が、現代よりも身近でリアルであり、その影響を受けやすかった中世において、ベルも特別な力を備えた存在であると信じられていました。
キリスト教会自体が、ベルを聖別し、そうしたベルには悪霊を追い払う効果があると認めることで、ベルの発達に寄与していました。
主にスコットランドやイングランド北部において、キリスト教会によって権威付けされたこのような信仰に基づいて、ベルは「死者のためのベル(Dead Bell)」と呼ばれて、悪霊から死者の肉体を聖別し、保護するという目的で使用されるようになりました。
「死者のためのベル」には、二つの役割がありました。
一つ目は死出の旅に赴こうとする魂が、祈りを捧げるキリスト教徒を探し出すことができるようにすること、二つ目はその死に逝く魂の道程を邪魔をし、あわよくば捕らえてしまおうと企む悪霊を追い払うこと、そうした目的のために、「死者のためのベル」は鳴らされました。*4
上の画像*5は、英グラスゴー(Glasgow)で展示されている1641年の刻印のある「Died Bell」の絵画。
下の画像*6は、エドワード懺悔王(1004?〜1066)の葬儀の様子を描いたタペストリー。その下部にて二人がDead Bellを鳴らしているのを見ることができます。
キリスト教の信仰に基づいた、この「死者のためのベル(Dead Bell)」という慣習は、二つの事実を表しています。
- まだ音階を持つ段階には至っていないものの、このベルは手で持つハンドベルであったこと
- この慣習がイングランドおよびスコットランド(つまり、現在のイギリス)において根付いたものであったこと
これらの事実は、後にイングランドにて誕生を迎えるイングリッシュ・ハンドベルにとって、少なからぬ意味を持っていると言えるでしょう。
教会の鐘楼(Tower Bell)
ヨーロッパにおけるキリスト教会には、鐘を中に持つ塔楼がその建築の一部として建立されました。
特にヨーロッパの大陸部においては、教会の他にも、市役所などの市の公共建築物、また大学などに付属して鐘楼が建てられることが多く、それらは「ベルフライ(Belfry)」と呼ばれて、単独建築物である後述のカリヨンと区別されました。*7
こうした鐘は、その鐘楼を持つ教会や施設の属する村や都市などの共同体のために、前述の通り、時報や警鐘、また結婚式や葬式における礼鐘として鳴らされました。
上の画像*8は、英スコットランドの「ダンファームリン修道院(Dunfermline Abbey)」における鐘楼。
下の画像*9は、英リンカンシャー(Lincolnshire)の「聖メダードおよび聖ギルダード教会(Church of St Medard and St Gildard)」における鐘楼内部の様子。
楽器としての「ベル」
その長い歴史の中で、ベルは私たちの日常に深く関わってきているのと同時に、様々な形で研究の対象となってきました。
「カンパノロジー(Campanology)」*10と呼ばれる学問分野では、どのようにベルが調律されるべきか、どのような原理でベルは振られて、その音を発するのかということを物理的に研究することがテーマとなっています。*11
この研究は、後述する楽器としての「カリヨン」や「チェンジ・リンギング」の演奏によって深められていくことになります。
カリヨン
14世紀半ば頃、現在のベルギー・オランダ一帯に広がるフランドル地方(「フランダースの犬」で有名ですね、パトラッシュ!涙)にて、教会の塔に、その大鐘が鳴ることを事前に報せるために「前打ち」と呼ばれる小さな鐘が設置され始めたのが起源と言われています。
他の建築物と一体化していない単独の建築物の中に、演奏用のベルが設置されたものを指し、演奏はワイヤーで接続された鍵盤を手や足で操作して行います。
その演奏者は、「カリヨネア(Carillonneurs)」と呼ばれます。*12
現在に至るまで、その鋳造や調律、演奏が行われ、カリヨネアの育成が図られています。
画像*13は、1929年に完成された米アラバマ州立大学の「Denny Chime」。
チェンジ・リンギング
「チェンジ・リンギング」では、調律されたベル一式によって、「Changes」と呼ばれる数学的なパターンに従った演奏を行います。
17世紀頃のイングランドにおいて開発され、活発に演奏が行われたベル奏法で、現在においてもイギリスを中心に、世界の至る所でその演奏が行われています。
チェンジ・リンギングにおける演奏では、上述の数学的なパターンに従った音の連続となり、カリヨンによる演奏のように、一般的な意味でのメロディーを生み出そうとはしないという特徴があります。
カリヨンでは、一人のカリヨネアがワイヤーで接続されたたくさんのベルをコントロールすることでベル演奏が行われますが、チェンジ・リンギングでは、一つのベルにつき紐を引いて演奏を担当するリンガーが一人付くという点も異なります。*14
チェンジ・リンギングの舞台となる教会の鐘楼では、最大16個、平均的にはドレミファソラシドの一音階分に調律された6〜8個のベルを備え、それらのベルには便宜的に数字が割り振られ、そこでリンガーたちは輪になってチェンジ・リンギングの演奏を行いました。
チェンジ・リンギングの基本は、最初にその鐘楼にあるベルの内でいくつ使うかを決め、それぞれ一人一個ずつのベル担当を決めた後、低音から高音へと順に鳴らしたパターンを一回として、あるルールに従って鳴らす順番を入替えながら、繰り返しベルを鳴らす*15、というものです。
チェンジ・リンギングの中にも、さらにいくつかの演奏法があります。
- 「Call change ringing(掛け声(Call)によるチェンジ・リンギング)」
音の配列規則に頭を悩ますことなく、ベル演奏技術の習熟に集中するために、リンガーたちの入門として行われた演奏法です。様々な意味を表す指揮者による掛け声(Call)に応じて、リンガーはベルを鳴らしていきます。*14
- 「Method ringing(反復する規則によるチェンジ・リンギング)」
多くの人々にとってのチェンジリンギングはこの意味で、使われてます。一枚の紙に書かれた、目のくらむような膨大な数字の配列を全て覚えこむのではなく、その中にある「ある一定の反復する規則」を頭に入れ、そのパターンにおける自分のパートを暗譜することで、リンガーたちは外部からの指示や協力なしで、何時間もの演奏を行います。*14*16
上の画像*17は、「Plain Bob Minor」と呼ばれる音の配列を表した楽譜。「Plain Bob」は音列生成に関する「ある特定のメソッド(規則)のパターン」を、「Minor」は6個のベルによる演奏という「ベル数」を表しています。*16
下の画像*18は、英デヴォン(Devon)州のストーク・ガブリエル(Stoke Gabriel)教区教会において、チェンジ・リンギングを練習中の様子。
イングランドにおける誕生
チェンジ・リンギングの練習用として
コア兄弟たちによって考案された、音階調律のなされた「イングリッシュ・ハンドベル」は、次第にチェンジ・リンギングの演奏者たちの練習用として使われていくようになりました。
前述の通り、チェンジ・リンギングにおける一連の演奏方法を練習するためには、時に外気が直接当たり、時に肌寒さを伴う教会の塔鐘にて練習するよりも、建物内で座って演奏することもできるハンドベルによる練習の方が、より快適であったのは確かだったと言えるでしょう。
このようにして、チェンジ・リンギングの演奏者たちによって使用されていくことで、ハンドベルのセットはだいたい一音階分のベル(6〜12個)を備えるのが一般的になっていきました。
また第二次世界大戦中に、教会の鐘楼におけるチェンジ・リンギングの演奏が許可されなかったことも、ハンドベルの普及に拍車をかけた*14、と言われています。
各国への伝来
「イングリッシュ・ハンドベル」は、その名の示す通り、現在のアメリカ、オーストラリア、カナダなど旧英連邦諸国において盛んであると言うことができるかもしれません。
地理的にイギリスにより近いヨーロッパ大陸諸国にて、現在ベル製造社は多く存在するものの、イングリッシュ・ハンドベルの連盟組織が余り見られない事実は、「カリヨン」と「チェンジ・リンギング」以来の、楽器としてのベルの系統分岐が影響している、と言えるかもしれません。
アメリカへ
イングランドからアメリカにハンドベルが伝来されたのは、1902年にマーガレット・シャークリフ夫人(Mrs.Margaret Shurcliff)によって、と伝えられています。*19*22
シャークリフ夫人は、イングランドにおいて完全な形でpearlと呼ばれるチェンジ・リンギングの演奏形式でのベル演奏を行った、初のアメリカ人女性でした。
シャークリフ夫人によって最初にアメリカに持ち込まれたハンドベルは、イングランドのホワイト・チャペル社より提供を受けた、10個弱から成るハンドベル・セット一式でした。
その後もシャークリフ夫人は精力的にハンドベルの普及に努め、1937年に現連盟の前身としてアメリカ東部のニュー・イングランド州にて結成される「New England Guild of English Handbell Ringers (NEGEHR)」の中心メンバーとしての役割を果たします。
日本へ
江戸時代の長きに渡る鎖国体制を経て、1854年の日米和親条約による開国への転換、そして1868年の明治維新以来、日本でもキリスト教に対する信仰の自由が認められ、キリスト教文化が公式に日本国内に伝えられ始めます。また、宣教師たちを始めとする信者たちによって、キリスト教教育に基づく教育機関が次々に設立されていきます。
戦前において、つまり1945年に第二次世界大戦が終戦を迎えるまでの間において、そうした教育機関において、演奏団体が結成されてハンドベルが演奏されたという可能性は皆無ではありませんが、残念ながらその記録を見つけることはできません。
画像*23は、明治時代初期に来日したプロテスタント教会改革派の宣教師たち。
現在参照できる資料によると、日本へのハンドベルの伝来は、第二次世界大戦後に宣教師によって紹介された*24、1970年頃に女性宣教師M.I.ケリー(Merle Irwin Kelly)女史によって、金城学院大学に始めてハンドベルクワイアが設立された*25*26、と伝えられています。
製造社と「ハンドベル・ファミリー」
ベル鋳造を行う製造社は、その歴史と共に古くから存在していました。その中からイングリッシュ・ハンドベル製造を事業として始める会社が現れ、やがて20世紀に入り、現在の主要三社が出揃います。
イングリッシュ・ハンドベルは、決して安価とは言えません。またその演奏に慣れるまでは、多少の訓練を必要とします。
コスト面では、複数オクターブの購入となると、日本円にしてだいたい数十万〜数百万円を要しますし、演奏技術面では様々な奏法に対応する必要があり、運用に際しては、オクターブ数によっては練習場所の確保や、かなりの重量を伴う楽器移動手段の確保が必要といった面があります。
そうしたコストや演奏しやすさの面での改善のために、イングリッシュ・ハンドベルには、そのファミリーと呼ぶべき楽器が、製造・発売されています。
現在もイングリッシュ・ハンドベル製造を続けている中で、最古の歴史を誇るのは、イギリスのホワイト・チャペル社です。
設立は1570年頃、実にあのスペインの無敵艦隊をアルマダの海戦で破ったイングランド女王エリザベス一世(1533〜1603)の治世です。
前述の通りホワイト・チャペル社は、1902年にアメリカへ伝えるために、マーガレット・シャークリフ夫人に同社製のイングリッシュ・ハンドベルを提供するなど、ハンドベルの歴史において重要な存在を占めています。
1935年には、アメリカにて、ジョージ・シューマリック(George Schulmerich)氏によってシューマリック社が設立、1973年に同じくアメリカにてシューマリック社を離れたジェイコブ H. マルタ(Jacob H. Malta)氏によってマルマーク社が設立され、現在に至るイングリッシュ・ハンドベル製造における主要三社が揃います。正確な統計はありませんが、現在世界各国にて使用されているイングリッシュ・ハンドベルのシェアの多くは、この三社によって占められていると言えるでしょう。
日本では、2007年よりプリマ楽器から国産のイングリッシュ・ハンドベル「アプリ・ハンドベル」の製造が開始されています。*27
画像は、マルマーク社製のイングリッシュ・ハンドベルです。
ハンドベル・ファミリー:チャイムの登場
ハンドベル・ファミリーにおける最初の一つ、チャイムが製造され始めたのは、ハンドベル全体の歴史から考えるとかなり近年と言える1980年代からになります。
元々ハンドベルの練習用に使用され始めたのが、その起源と言われます。*28
- 1982年 マルマーク社による「Choirchime」
- 1998年 シューマリック社による「Melody Chimes」
日本では鈴木楽器製作所が、「トーンチャイム(Tone Chime)」という商標にて発売しています。*29
画像は、立教学院諸聖徒礼拝堂ハンドベルクワイアのチャイム(マルマーク社製)です。
その他のハンドベル・ファミリー
共に、比較的近年になって登場した楽器です。
イングリッシュ・ハンドベルと比較して、低コストでの運用が可能というアドバンテージがあります。
- ベルプレート
イギリスのBellplates社によって提供されています。
アルミニウム製の三角形のプレートをキャスティングとし、それを叩くクラッパー、またグリップするためのハンドルが取り付けられています。
ハンドベル演奏の現在
これまで書いてきた通りハンドベルは、その起源を教会の鐘に持つことや、また「クワイア(Choir:聖歌隊)」という名前を含む演奏団体が多数あることなどから明らかであるように、キリスト教との非常に深い関わりを持っています。
世界各国における連盟組織の結成
キリスト教が広く普及している国や地域では、教会や教育機関にて、聖歌隊としてのハンドベル・クワイアが結成され、さらに、そうした複数のハンドベル演奏団体によるギルド・連盟が組織されているところが多数あります。1950年代以降、世界各国で次々にハンドベルの連盟組織が結成されていきます。
アメリカにおけるイングリッシュ・ハンドベル連盟組織「The American Guild of English Handbell Ringers(AGEHR)」によると、そのWebサイトにはアメリカ国内外合わせて約9,100団体もの登録がある、と記載されています。*22
日本における現在
一定規模でキリスト教が普及している日本*32においては、教会に所属する団体よりも、キリスト教に基づく教育機関においてハンドベル演奏団体が結成されている場合が多く、その結成から一定期間を経た現在では、それらの団体の卒業生・OBOGたちによって、新たに社会人によるハンドベル演奏団体が結成されるケースも、多く見られるようになりました。
明治学院大学・立教大学の各ハンドベル演奏団体のOBOGたちによって結成されている私たちプロアルテ・ベルリンガーズも、そうした団体の一つです。
そうした学生や社会人を始めとする様々な団体の演奏活動によって、日本でもハンドベルという楽器に対する認知が、着実に広がりつつあります。
そのWebサイトによると、2009年1月現在で、日本ハンドベル連盟には約600団体の加盟を有する*33、とあります。
クリスマスの時期には特に、コンサート以外でも、メディアや公共の場所にてハンドベルによるクリスマス曲が流されるのを耳にする機会が、あるいは結婚式などでちょっとした余興として演奏されるのを目にする機会が、決して珍しくはなくなってきているように思います。
ただ実際にハンドベルを演奏するリンガーの一人として、よく「ハンドベルと言えばクリスマス」としてクローズアップされるクリスマス曲以外にも、ベル・オリジナル曲を始め、現代曲、クラシック、ポップ・ミュージックなど、ハンドベルという楽器自体は、様々な音楽分野の演奏に対するポテンシャルを持っていると思います。
実際に様々なハンドベル・コンサートに足を運び、それらの団体独自の選曲に基づく多種多様な演奏を耳にするたびに、その想いを強くします。そうした魅力が私たちプロアルテ・ベルリンガーズを始め、様々なハンドベル演奏団体の活動によってより広まれば、と考えています。
これからも様々な団体の演奏によってハンドベルの認知や普及が進み、その歴史が深められながら脈々と続けられていくことを、この楽器に関係する者の一人として、願っています。
またそのために、当サイトの情報が少しでも役に立てれば、これに勝る喜びはありません。