<練習光景>
※「ファランドール」を練習中な様子です。昨年の最後の練習日記を読み返してみました。
本番を明日に控えた今、そこに書いたのと同じ「不安」や「プロアルテの今年一年も遂に終るんだな」という、どこか安堵に似た気持ちがあります。
きっとその「不安」は、たくさんの方々の前で演奏を披露するということに対して必然的に伴うもので、昨年に限らず、今年に限らず、これからもコンサートで演奏を行う以上は、それから逃れられないものなのだろうと思います。
でも
今年の練習日記をざっと読み返し、5月の新ベル到着(
)から20数回に及ぶ練習を行い、今年のコンサート演奏曲を決め、様々な試行錯誤の中で、時には週末の多くを費やしながら、今年のプロアルテとして演奏する音楽を、メンバー皆で形作ってきました。
私個人に関して言えば、特に音楽の才能があるというわけでもないので、そうした練習においてメンバーの足を引っ張ってた部分もあったでしょうし、上に書いた「不安」の根拠となるような、まだ完全とは言えない部分が曲によっては残っているかもしれません。
でも純粋にハンドベル演奏の練習の時間を始め、その練習の様子を練習日記に書くことや、いくつかのコンサートを聴きに伺ったこと、たくさんの方々にコンサートに来ていただくためにしたこと、このサイトの運営など、明日のプロアルテのクリスマス・コンサートに向けて、できるだけのことはやったと言えるのではないかな、と今は思っています。
とは言っても、たとえそう自分では思えたとしても、明日のコンサート本番で良い演奏ができなければ、きっとそうした「投資」にも意味はありませんね。
でもきっとコンサート前の「不安」に対する「消火剤」として、良い演奏をするために、そうした想いは自分なりに意味を持ちうるのではないかな、と考えたりしてします。
そして、きっとそれはメンバーそれぞれがについても、多かれ少なかれ同じことが言えるのではないかな、と勝手に思っています。
そう考えると、自分で言うのもなんですが、私たちプロアルテというのも本当に変な団体だな、と思います。
やがて消えてしまう運命にある、物理的には残らない音・音楽という形のないもののために、そこから何かを形作るために、10数名の大人たちがそれぞれの時間を持ち寄って、半年近くもの時間を費やしているわけで、ある意味、本当に、酔狂だな、と。
でもたくさんの物に溢れるこの世界で、本当に何に意味があるかという答えなんて果たしてあるのかわからない中で、ある「何か」に意味があると信じ、そしてそれを何らかの形で表現することができれば、それはそれで良いのではないかな、と今は思ったり。
例えば、ハンドベルという楽器が好きで、それを皆で演奏することが楽しく、コンサートで皆で時間をかけて形作った音楽を、たくさんの方々の前で演奏し、それを聴いて下さった方に何かを感じていただくことができたなら、そのために費やした時間はきっと価値あるものと言えるのではないかな、と。
などと、今年一年の練習をほぼ終え、コンサート本番を前にして、思いました。
きっとメンバーそれぞれが様々な想いを持って、明日のコンサートに臨むことと思います。
どうか本番のコンサートにて、皆様の前で、メンバーそれぞれが、これまでの練習の成果を発揮した演奏をすることができますように。May the Muse be with us.